オーディオは認知(聞き耳)が根幹
オーディオは認知(聞き耳とも言う)の広さと深さがモノを言うのでいきなり(自分にとっての)正解・良い音には一直線に辿り着けない。認知出来ない領域はブラインド項目となり、気付かぬ所で変な音になっている事も多々ある。そして認知は様々な経験の積み重ねと感動でしか広がらない。(特に他者との交流が非常に有効)だから一直線は現実としてまずあり得ない話になる。
良いものは高価という現実
ただし、一方でお金を積むこともまた大正義なことは事実。経験上、高い製品の全てが良いものという訳ではないが、良いものはすべからく一定以上高価。価格による性能の差も残酷な程きちんとつけられている。
ちなみにここでの「良いもの」の定義は音を司る項目のうち、より多くの項目をカバーし、よりクオリティが高く、かつ穴が少ない製品のこと。
お気持ちに流されない
この事実から目を逸らしたり、逆張りしたりするとお気持ちに流され、自分自身で認知を曲げる事になり、結果として音にもそれが出る。
例えば「ハイエンドを安価な製品の組み合わせで凌駕したぞ!」だとか「オーディオはお金じゃない。使いこなし()が全てだ!」とか、ハイエンドにムラを焼かれた人がよく言うが、そんな事を言っている段階でその自らのお気持ちに流されて見えなくなっている項目があるからどだい無理な話。
認知が低いままハイエンドをただ使っているだけならば凌駕することも出来るかもしれないが(そもそも勝ち負け云々言っている精神がもはやお察しだと個人的には思うのだがそれはここでは置いておく)、自分と同程度の認知の人が自分より多くの資金を投じれば絶対に凌駕する事は出来ない。なぜハイエンドを使う人=認知が劣る人と決めつけてしまうのか。残念な精神だと思う。
話が逸れたが、認知を広げることと、自分のお気持ちに流されないことがより普遍的な良い音を出す鍵だと思っている。
オーディオの最短経路とは
ではオーディオにおける「最短経路」とは何か?
私は自分より遥かに認知が格上で自分が「この人なら」と認めた人にシステムを選択・調整してもらう事だと思っている。実際にそれをやっている人も数人知っている。
この場合、いかに我を捨てるのかという難しさはあるが、それをクリアすれば自分の認知より遥か格上の音で日々音楽を楽しみ、そこから日々教わることが出来、結果として認知の成長もすこぶる早くなる。
ただ、実はこの方法にも限界があって、真に効果を継続させるためには定期的にその人に来てもらい調整し直してもらう必要がある。
なぜなら、オーディオはちょっとしたセッティングの違いで音がガラッと変わり、人は知らず知らずの内に自分の認知レベルに合う様に音を調整してしまうから。
遥か高みにあった音も時間と共に徐々に自分のレベルまで落ちてしまう。
それでも、選定した機器で音の大枠は決まるので、見込んだ人に選んでもらう手法の有用性は一定以上存在すると思っている。
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