今回は前回に引き続き「ハイエンドオーディオ」の定義の現在地について考えたことの後編を記す。
前回ではハイエンドオーディオの起源での定義を振り返り、そこから現在の定義やその音質傾向について書いた。今回はそこから更に一歩進んで論を進めていきたい。
現在のハイエンドオーディオの音質の負の側面(問題点)
それでは現在のハイエンドオーディオの音質への賛否のうち否の意見とはどういうものなのか。
曰く、音楽性が無く感動出来ない
曰く、生の音(生演奏)とは違う
曰く、無機質
etc…
この否の意見の大きな特徴として、一般人でもなく、オーディオ民のうちハイエンドを視野に入れている人でもなく、オーディオ民でかつ普段は現在のハイエンドを聴かない層の方々から主に発せられるというものがあり、とても興味深いのだがそれはまた別の話として今回は触れない。
これらの否の意見はそれを発する方々のお気持ちや視野狭窄や知見不足を少なからず含んでおり、全てがそのまま事実を現しているとは思わないが、それでもやはり一面では現在のハイエンドオーディオの音質が陥ってしまっている負の側面(問題点)を示していると見るのが冷静な見方だろう。
私が考えるその負の側面を以下に纏めた。
- 音色や質感に関する大枠の定義の欠落
- 自然界の音への忠実度という観点の欠落
- ハイエンドオーディオの音質という文脈の先鋭化
⇒一般の自然音の文脈からの乖離の拡大
⇒ハイエンドの文脈を解する人間の先細り
私が現在のハイエンドオーディオの音質における一番の負の側面だと感じているのが音色や質感に関する定義の欠落だ。この観点では現在のハイエンドはもはや先鋭化が過ぎる領域に入って来ていると感じる。
具体的には、化粧が厚すぎて元の音源なりの質感が見えず不自然だと感じるメーカーや、音のふるまい(音の立ち下がりが多い)が現実から乖離していて新しさは感じつつもそれ以上に違和感が先に立つメーカーも少なくない。
ハイエンドオーディオの文脈内における各メーカーの音の差別化のための泳ぎ代としてある程度の振り幅を許容するのは仕方ないと思うが、それにしても現在の状況は度を越している。業界としてこれ以上は流石にやり過ぎだよね?という範囲を決めるべきだと感じる。
実はひと昔前まではハイエンドの音はこうではなかった。私が今までの所有機器や試聴経験から、自然音の文脈を保持しつつバランス良く基礎性能も上がって行ったと感じるのが1990年代終わり~2000年代半ばのハイエンド機器群で、この頃の機器を未だに愛するファンも多いと感じる。
ハイエンドオーディオというものは一旦はこの時期に円熟期を迎え一つの頂点に達したと言っても良く、それ以降は更なる技術の進歩と共にまた違うハイエンドオーディオが始まったとも言える。
やや話が脱線したので本筋に戻す。この様に現在のハイエンドオーディオの音という独自の文脈が先鋭化していった結果、一般に広く共有されている自然音の文脈からの乖離が進み、なかなかその良さが分かりにくくなる。その結果、外から新規でハイエンドの文脈に入り難くなり、ひいては文脈を解する人間の先細りが懸念される。…というかもうこの事態は現在進行形となってしまっている。
その一例がXオーディオ界隈でしばしば物議を醸す「現在、世界のハイエンドオーディオ界で流行している(と一部の方が主張される)」音源に対する激しい温度差・評価の差だ。どっぷりとハイエンドオーディオの文脈にハマっている一部の人からは絶賛される。私もそういう文脈をある程度解するのでその音源の愉悦は分かる。しかし、その文脈を解さない人からは「確かに凄いは凄いけれど、音楽として何が良いのか分からない」という評価になってしまう。
事実として、世界のオーディオシーンで人気だと一部の方が言われていた楽曲のYouTube再生回数は5年で5万に満たない…
まともに今後も代表的な趣味の一つとしてハイエンドオーディオを存続させようと考えるのならば、業界はこの現実に対する対処を真剣に考えなければならないと思う。(残念ながら業界の進んでいる方向を見るとまともな存続は考えていない様にしか見えないのだが…)
現代ハイエンド+ハイフィディリティという着地点
では、現在のハイエンドオーディオの含有する音の要素全てが行き過ぎたものであり、自然界の音への忠実度≒(狭義の)ハイフィディリティという文脈からは不要なものばかりなのだろうか?
現在のハイエンドの音に否定的な方の言説によく登場する様に、昔(ここでは2010年頃以前からビンテージまでの広範囲の時期を示す)のオーディオ機器の出す音の方が本当に人間にとって心地よく音楽性を感じられるものなのだろうか?
私はそうは思わない。
懐古主義やお気持ちや慣れ親しんだ文脈から離れて、自然界の音への忠実度という文脈から冷静に現在のハイエンドオーディオの音の要素を見て行くと、明らかに昔のオーディオ機器では持ち得なかった自然界の音への忠実度の高い要素を現在のハイエンドオーディオが有していることに気付く。
その具体的かつ主要な要素を下記に纏める。これらの要素の性能向上により現代ハイエンドの機材の出す音は一面ではよりリアル(自然界の音)に近いものになっている。
- 周波数レンジの広さ(特に超高域の伸び)
- 情報量の多さ
- 微細領域の描写力の高さ(≒所謂解像度の高さ)
- 音色や質感の自在性の高さ
- ノイズや歪みの低さ
- (デジタルにおいて)ジッター低減による音の立上りの追随性の高さ(≒所謂立上りの速さ)
私が感じる現代ハイエンド機と2000年代以前の機器との一番の差は、まさにこの自然界の音(ひいては生演奏の音)への忠実度の高さにある。実はこれは恥ずかしながら私も昨年になってやっと自分の身についた観点で、それまでは私の認知のブラインド項目となっていた。この観点はビンテージや90年代・00年代辺りの機器及びそういった時代の音源に慣れ親しみ、その文脈が身に沁み込んでいる人ほどなかなか体得しにくいものだと思う。(そしてまたその逆も然りで現代機や現代の音源の文脈が沁み込んでいる人はビンテージ機材や古い音源をただ色褪せて感じてしまうのだが、このあたりはまた別の機会に書いてみたい。)
これは例えると絶対音感と相対音感の様なもので、昔の音源や機材に親しみその文脈が身に沁み込んで来ると(勝手に脳内補正されるようになるのだろう)実際は高域が伸びていないシステムや入っていない音源を再生していてもヴァイオリンの音はちゃんとヴァイオリンに聞こえるしピアノの音はピアノに聞こえる様になる。だから実際は自然界の音から離れた音だったとしても違和感を感じない、というかそういう観点で聴いていないといった方が良いだろう。その時代の音源の再生として然るべきかどうかという観点で知覚し、無意識に補正しながら聴いているのだ。
また話が若干脱線してしまったが、この様に現代ハイエンド機器の音も先鋭化が過ぎる部分が悪目立ちしてしまっているだけで、それに隠れてしまっているが裏では技術の進歩による自然界の音としての忠実度がきっちりと向上しているのだ。確かに現在のハイエンドオーディオの進んでいる方向はオーディオ界のまともな形での存続にとっては疑問が大きくはあるが、お気持ちによるハイエンド憎しでその技術の進歩がもたらした成果まで全て否定してしまうのは非常に勿体ないと私は感じる。
そこで私が提案したいのが「現代ハイエンド+ハイフィディリティ」という着地点だ。
つまり、現代ハイエンド機器の中でも、先鋭化が過ぎて忠実度を下げているものは避け、純粋に技術の進歩により忠実度を高めているものは採用するという方法論を取るのだ。そうする事で、より広範の文脈を持つ人々から支持を得られる=より広範の音源を違和感なく再生出来るシステムの音に昇華させることが出来る。それだけの事が可能な所まで技術の進歩が来ていると私は現在の色々な機器を聴いて感じるのだ。
補足だが、ここで、今回はハイエンドについての話なので便宜上ハイエンド機器と書いたが、もちろんハイエンド機器に限らず技術の進歩により閾値を超える忠実度の向上を感じる機器も選択肢に入る。実際私もここ1-2年でミドルクラス以下でもその様な機器が出始める萌芽を感じている。
ここでさらに私が言いたいことは、ハイエンド機器だから・現代機だからと言って、はなから音楽性がないだの生の音と違うだの決めつけず、冷静に平等に見て欲しいということである。確かに2010年代前半は不気味の谷に堕ちたかの様な技術の進歩が悪い方向に作用している機器も多かったのは私も感じたことだが、2024年現在のオーディオ機器はその不気味の谷を越しつつある。今一度真っ白な感覚で古今東西の色々な機器を見直してみて欲しいと切に思う。
但し、この方法論も万能ではないことを最後に書いて今回の記事の締めとしたい。それは音源の多様性への対応という点で、特に時代性の強いもの(アナログオリジナル期など)や音楽ジャンルの文脈の支配力が強いもの(往年のジャズやロックなど)といった所はどうしても特化型のシステムで出せる説得力にはまだ及ばない。(10年前よりは各段にその差は縮まったのだが)その辺りはまた別の記事で詳しく書いてみたいと思っている。
コメント
コメント一覧 (3件)
非常に読みごたえがあり
かつ、自らが感じていながらも言語化困難であったかなりの部分について腑に落ちる素晴らしい内容と感じました。
自らが取り組んでいる方向性も明確に指摘されているように思い、今後も精進せねばと思った次第です。
自分としては、2つのシステムを使い分ける理由が、明確に言語化されたという意味でスッキリしました。
今後もある程度の普遍性を持たせながら、トランジェントに優れた再生を目指す所存です。
コメントありがとうございます。拙文にご共感いただけて大変うれしく思います。
GAVANさんは励磁という素晴らしいスピーカーが在りながらYGにも新たに挑戦されており、そのチャレンジ精神には私も少なからず共感するところがあり刺激を受けています。
いつかお互いの音を聴きながらオーディオに関する踏み込んだお話出来ると良いですね。
お互い頑張りましょう。
早速のリプライ、誠に恐れ入ります。
励磁との出会いは、自らのオーディオ感を根底から覆すものでした。
YGもまた、別の意味で考えを新たにさせた出会いであります。
また、本物の楽器をオーディオに付加する、というのも新たな発見でありました。
拙宅はkanataさんには、遠く及ばないとは存じますが、いつかお互いに語り合えることを心待ちにしております。
精進してまいります。