今回は前々から感じていたある断絶について書いてみようと思います。
文章の構成上やや極端な物言いにあえてしていますのでその点ご容赦ください。極端な物言いで決めつけて対立を煽りたいのではなく、構図を分かりやすくして説明性を高め、その上でお互い歩み寄って行ければ良いなというのが本心です。
オーディオマニアの断絶
色々な方々と交流したり、ブログやSNSなどの書き物を読んできたりといった経験から、私よりひと回り上のいわゆるバブル世代以上のハイエンドオーディオマニアと、私と同世代のいわゆる氷河期世代以下のオーディオマニアでは、オーディオに対して求めるものに大きく違う点≒断絶がある様に感じます。
それはオーディオに物語性を求めるのか否かということ、そして〇〇の音という製作者の音作りに対してブランド的な信仰を持っているのか否かということです
そうした物語性やブランド性を重視する先輩ハイエンドオーディオマニアの傾向は私が昔付き合いのあったある方の言葉を借りるなら「音楽」よりも「文学」を重視している様に感じます
また、巷でよく見かけるラーメン漫画の言葉を借りるなら、先輩方はラーメン(音楽)ではなく情報(製品の背景にある物語)を食っているかの様にも感じます
特にどちらが良いと私は思いませんが、両者の感覚は遠く離れていて各々が相手のことを理解しにくい存在ではあると思います
断絶の原因
ではなぜある一定の年齢層から下で断絶が起こり、こうした「文学」を重視しなくなったのでしょうか?
それはハイエンドオーディオ業界が過剰に「文学」に偏りすぎていたが故に、それを見せられた後輩達の拒否感が原因として大きい様に思います。
今でもそうですが、特にオーディオ雑誌をはじめとしたプロの方々の評論は多分に「文学」に偏っています。
それら「文学」に偏った評論は何度読んでも煙に巻かれた様でその機器の音質のことなど全く分からないものも少なくありません。
そんなものばかりを延々と見せられれば、主として欲しい音質の情報を巧みにかわす煙幕の様に使われている「文学」に対して邪魔者に感じ嫌気がさしてしまうのは無理からぬことではないでしょうか?
仮に評論の7割は音質を、それに添え物として「文学」を、こういうバランスならその「文学」も邪魔者ではなく、より製品の魅力を増してくれる好ましいものと感じていたことでしょう。その結果世代間の断絶は今ほどにはならなかった様に思います。
先輩方は断絶を嘆き、「文学」を解さない後輩達を残念と斬り捨てるだけではなく、なぜそれが起こったのかもう少し自分達の身も省みて考えても良いのではないかと思います。
そしてもちろん後輩達にも同じ事が言えます。ポエムwwwと毛嫌いせず適度な物語性ならば目を向けて損はない観点であると言えます。オーディオの楽しみ方の軸が増えるかもしれません。
時代の変遷 そして歩み寄り
さて、では「文学」から「音楽」へ重視するものが変化した事は本当に後退と言えるのでしょうか?文学すら解さない残念な下郎が増えてしまったとだけ言い切ってしまって良いのでしょうか?
それは偏った観点でものを見すぎています。違う観点から見れば、あえて強い言葉を使うなら、より本質である音楽そのものに純粋に向かう様になったとも言えると思います。
そもそもオーディオを趣味とする人間はなぜオーディオを始めたのでしょうか?その原点とは何なのでしょうか?
それは、自分の好きな音楽をより高音質で楽しみたいからという人が大半だと思います。原点は音楽そのものな訳です。
従って「文学」に嫌気がさしてそこから離れた後輩達は文学から離れた分だけ原点である音楽へと近づいているとも言えるでしょう。
これはちょっと都合良く言い過ぎな所はありますが、そういう一面も否定されるものではないかと思います。
言い換えるなら、ハイエンドオーディオ機器自体(とそれにまつわる物語)を愛する時代から、道具としてのオーディオ機器がもたらす音質で描かれた音楽を愛する時代へ。そう時代が変遷しているとも言えるでしょう。
しかし、その両者にはそれぞれ優劣はありません。単なる楽しみ方の違いです。なかなか感覚的に遠く理解は難しい所はあると思いますが、だからこそお互い歩み寄ってそれぞれの楽しみ方を伝え合った時、それぞれに新たな発見や楽しみが待っているとも言えます。
だから先輩方には諦めないで歩み寄る姿勢で自分の楽しみ方の素晴らしさを発信し続けて欲しい、そう思います。
コメント
コメント一覧 (2件)
4~5年前にTwitterでkanataさんの記事を拝見していた者です。
この数年で、同じオーディオシステムを使いながらも、聴く音楽の幅が広くなりました。
音や音楽はもともと非常に抽象的なもの。それを文字、まして文章に置き換えるのは、並大抵のことではありません。そのジレンマから、今や笑いものにされがちな「ポエムwwwと毛嫌いされる物語性」が生まれたのでしょう。そうした物語性から離れた聴き方ができるオーディオシステムと、そうではないオーディオシステムの二つにわかれるのではないか。この投稿からそのことを感じました。
宅井さん、ご無沙汰しております。印象的だったので覚えております。お元気そうで何よりです。
>そうした物語性から離れた聴き方ができるオーディオシステムと、そうではないオーディオシステムの二つにわかれるのではないか
なるほど、面白い考え方ですね。そういう見方もあるかもしれません。
私がこの記事で書いているのと卵が先なのか鶏が先なのかという違いということですね。
私の場合は機器の物語性よりも音源からのイマジネーションがより湧く様なシステムでありたいと思います。