パグ太郎邸訪問記(German Physiks, Mola Mola,etc)

今回は元philewebコミュニティ繋がりのパグ太郎さんからお声掛けいただき、訪問オフ会を行ったのでその様子を記します。当日はホストのパグ太郎さんの他、ゲストとしてgenmiさんCENYAさんも同席されました。全員が数年前から何度も行き来がある仲で気心も知れており、ざっくばらんに和気あいあいと音楽とオーディオを聴き、語り合い、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。やはりオーディオのオフ会は楽しいですね。

目次

オフ会概要

オフ会概要
  • 日時:2023年12月2日
  • ホスト:パグ太郎さん
  • ゲスト:genmiさん、CENYAさん、kanata
パグ太郎さんシステム概要

今回訪問時2023年12月のシステム

Luxman D-08u

Molamola Makua

達人製真空管パワーアンプ

German Physiks HRS130

達人製ラック

前回訪問時2020年11月のシステム

Luxman D-08u

Molamola Makua

Octave V110 + super black box

German Physiks HRS130

quadraspire ラック
CSE クリーン電源

パグ太郎さんのシステムおよびセッティングは3年前の訪問時から結構変わっていました。システム全景を見れば一目瞭然なのでまずは写真を掲載します。

前回訪問時2020年11月のシステム全景
今回訪問時2023年12月のシステム全景

前回からのシステム面での主な変更点はパワーアンプの変更(Octave V110 →達人製真空管パワーアンプ)、ラックの変更(Quadraspire→達人製ラック)、CSEのクリーン電源の廃止の3点。

セッティング面ではTVをオーディオラックから切り離し、自立壁寄せ型に変更し正面の壁際まで位置を下げられており、これはGerman Physiksが表出するシームレスな空間表現にかなり大きな良い影響を与えている様に感じました。また、リスポジ背後にリビングと一続きの和室があるのですが、今回はその間に布製の間仕切りを垂らしておられ、有り無しを途中で聴かせていただきましたが、音がリビングから逃げずより音場がみっちりと密度をもってその場に留まる効果をもたらしており、好印象でした。実は拙宅もリビングから廊下に続くドアを閉めて聴いているのですが、まさに同じ効果を狙ったもので今回のパグ太郎さんの施策にはシンパシーを感じました。

前回はメインスピーカーの背後に2本のサテライトスピーカー(?)を配置し、コンサートホールに居るかのような音場表現を目指しておられましたが、その後色々と試行錯誤を繰り返した結果、現在は基本的にはメインスピーカー2本のみで聴かれているとのことでした。パグ太郎さん曰く、サテライトスピーカーのセッティングは非常に条件が厳しく、この部屋では最適な位置取りが出来ないとのこと。実際にこの日のオフ会の途中で少しサテライトスピーカー有りの状態を聴かせていただきましたが、全体としてコンサートホールの様な臨場感は増すものの、焦点のズレた音が被って来る気配を感じ、どこか音像がオンになり切らないデメリットの方を大きく感じました。これは同席されたCENYAさんも同様の趣旨のコメントを残されており、やはりこの部屋ではベストの位置取りが出来ない弊害が出てしまっているのだと思います。

サウンドインプレッション

当日パグ太郎さんがかけた音源 相変わらず独自の審美眼を感じさせるラインナップ

それでは本題に。3年経過したパグ太郎さんのシステムで奏でられる音楽はどうだったのか。。。忖度なしに素晴らしく進化していました。

因みに3年前の感想はこちら

音についてのインプレッション

パグ太郎さんの音と言えばまず思い浮かぶのがメインスピーカーであるGerman Physiksが創り出す3次元的に広がる音場のステージです。前回お伺いした際も素晴らしかったですが、今回は更に数歩先に行っていてその音場はおそらく直観的に他のスピーカーでは出せない域にまで達しておられました。具体的には音場の前後方向(奥行き方向)の構造が無数のレイヤーによる重層構造となっており、もはやレイヤー感すら感じさせないというか、その3次元的音場「自体」が実態感を伴っている様な感覚を覚えました。私の表現力の限界で上手く説明できないのがもどかしいのですが、音場というものを構築するのに費やしている情報量が他のスピーカーとは段違いだと感じます。この一線を越えた感覚は前回には正直申しますと無かったものであり、この3年のパグ太郎さんのシステムやセッティング面での色々な試行錯誤があってこそ成せる業なのだと感じます。とにかく素晴らしかったです。

今回その音場感と共に素晴らしかったのが音の起こりと持続の自然さです。これは主にパワーアンプの変更によりもたらされたものだと感じます。普通のオーディオシステムの場合、特に現代のスピーカーをドライブする場合に於いてはそうなのですが、音の出始めからその音が力を持ち定常状態に至るまで若干のタイミングの差を感じることがままあります。この感覚を個人的に「増幅感」と名付けているのですが、これを感じるとどうしても特にアコースティック楽器の音等では生楽器から離れたオーディオっぽさを感じてしまいます。個人的にパグ太郎さんが以前使われていたOctaveのアンプ全般にその増幅感を感じ易く、前回訪問時も例にもれずややそういう傾向がありました。
しかし、今回のパグ太郎システムではこの増幅感を感じさせず、とても自然にスッと音が立ち上がり膨れ上がる感覚もなくそのまま定常状態を持続できていました。これによってアコースティック楽器の再現性は前回より更に何段もリアリティを増していました。

更に今回は音楽表現(特に声楽もの)に重要な美味しい帯域の充実感も増していました。アコースティック楽器や特に人間の声はその成分の下支えとなる「美味しい帯域」の充実があるとよりリアリティを増して感じますが、今回はそれがとても良く出ていました。その結果、以前からパグ太郎邸は声楽の再生は素晴らしかったですが今回は更に磨きがかかっていました。こちらも主に新しいアンプによる効果だと思います。これにより音楽として自然にスッと自分の中に入ってくる要素が高次元で備わっていて心から安心して音源に込められた演奏を楽しむことが出来ました。

音源の再生についてのインプレッション

以上、音の特徴の描写が先行しましたが、そういった音的な要素が充実したことで、当然ではありますがどの様な音源をどう鳴らすのかというオーディオの核心部分もより進化していました。

今回もこれまでの訪問と同様にホスト側で再生していただいた音源はほぼクラシックでした。ただその幅は広く器楽・室内楽・オケ・声楽・オペラなど、時代もアナログオリジナルの往年のものから近年のものまで縦横無尽に制限なく楽しまれています。この様に変な宗教的思想に嵌らず、自由な心で新旧問わず自分が良いと思うものを再生しようとされる姿勢には以前より個人的にシンパシーを強く感じているもので、今回も次はどんな音源がかかるのだろうかとワクワクしながら聴かせていただきました。

そうして聴かせていただいたどの音源の再生も違和感なく音楽に入っていけるものでしたが、中でも印象に残ったのがオペラの再生古い時代(1960年など)の音源の再生です。

オペラの再生

オペラの再生で素晴らしかったのはやはりその音場です。先にも書きましたが出て来るステージの構造の重層感や実体感が他では聞けないレベルに到達しており、聞き手はオペラの世界の中にぐっと引きこまれます。また歌唱にも下支えがありリアリティが高く肉声感をとても感じます。当日はすっかり聞き惚れてしまいこのままずっとオペラを全編聞いていたい気持ちになってしまいました。

パグ太郎さんがお使いのGerman Physiksのスピーカーは決して万能なスピーカーではありません。例えば前回の訪問時に余興として持ち込んだInfected Mushroomを再生した際は、製作者の意図からは大きく外れた定位や音飛びとなり、制動もうまくできずリズム感も悪く一同思わず笑ってしまうほどバラバラの再生になってしまいました。しかしその分得意分野では他のスピーカーでは到底得られないレベルの再生を成し得ることが出来ることを今回もまた体感することが出来ました。また、そういう類の機器は使いこなしによる深度も深い様な気がします。良く使い込まれた癖のある武器は王道を行く武器よりも効果的な局面が出る、そんなイメージです。

古い音源の再生

オペラと共にこの日感銘を受けたのは古い音源の再生です。例えば私が持参して再生していただいたオイストラフのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲では、この音源と同時代の機器で再生した時と同じ文脈を感じさせる再生で、キツさもなくオイストラフのたおやかで味わい深い音色・音触が確かに感じられます。セル指揮でディースカウが歌唱するマーラーにおいてもハリがありつつもボディ感十分なディースカウの歌唱が浮つくことはありません。

これにもまたすっかりやられてしまい、取っ替え引っ替え古い音源をかけてみたくなるとともに、果たしてこの新旧の時代を自由に行き来出来る懐のとても深いシステムのカラクリは何なのだろう?German Physiksの魔法の一端なのか?それとも達人アンプの懐の深さなのか?などと色々頭を巡らせていましたが途中までは分かりませんでした。

時代を行き来するシステムのカラクリ

ところがカラクリを解き明かすキッカケが。CENYAさんの持ち込まれたダイアナ・クラールを聴いた時CENYAさんが「ボーカルの芯が出ませんね」と感想を述べられました。私も確かに同じことを感じましたが、German Physiksならこんなものなのではないかと感じ、その場はそのまま流れたのですが、後々このCENYAさんの感想はとても的を射たものである事が明らかになります。

会は進みCENYAさんとほぼ入れ替わりでgenmiさんが来られてひとしきり聴いた後、持ち込み音源で松山千春のライブを聴いた際に「ライブの臨場感が素晴らしいが千春のボーカルの存在感がやや希薄ですね」との感想が。

そういえば同様の趣旨のことを先にCENYAさんも話されていましたねとなり、パグ太郎さんが「それでは余興でちょっとセッティングを微調整しましょうか」とスピーカーをトントンと数ミリ動かします。すると千春の存在感がググッと引き立ち所謂ピントが合ったオンの方向へ変化しました。

おお⁉︎これはもしや?と感じ、すかさず先程のオイストラフを再度再生していただくお願いを。するとやはり思った通りオイストラフの弦の音はやや厳しくなり、拙宅に近い時代性の厳しさを垣間見せる音へとシフトしていたのです。

ここに至ってカラクリは解けました。パグ太郎さんは新旧の時代を行き来するためにあえてわざとスピーカーセッティングのピントをややズラしオフ気味の音に調整されていたのです。

ここで私が素晴らしいと思うのが、この音がきちんと意図してコントロールされてそうなっている点です。ただ単純に何もわからないままズレているのではなく、ピントの合った謂わば正解とも言うべきセッティングの音を十分分かった上で、その音では自分の聴きたい音楽を享受する目的からはやや外れることから敢えてズラして目的の達成度を上げているのです。ここまで理解した時、私は更に深い感銘を受けたのでした。

その人の顔が見えるオーディオ

今回の訪問の終盤の余興でのセッティングの微調整による音楽の見え方の変化や音源への対応範囲の変化を体感して、改めてオーディオとは調整する人間(基本的にはオーナー)の認知をベースとした「この音源をこう聴きたい」というものに成るものだと強く感じました。

私自身の経験としても、何度も交流をしていて信頼関係が出来上がっている方の所でたまにセッティングを微調整させていただくことがありますが、私のセッティングの特徴である音の焦点(ピント)を合わせると「私の音」にかなり近づく感じがいつもします。そして同時にオーナーの音の気配がその分減ってしまったことに(許可をいただいたとして果たして手を出すことが良いことなのか・・・)といつもある種の葛藤に苛まれることになります。

しかし、時間を置いてまたそのお宅を訪問すると「私の音」の気配はほぼ無くなり、そのオーナーの音に戻っているのです。これにはホッとする反面、オーディオの調整というものの難しさ・奥深さを思い知らされます。。。
こうした事が私が「オフ会は招いてゲストから指摘してもらうことの意義は実は少なく、訪問して音を拝聴し自分の認知を広げることの意義は大きい」と思う要因なのですが、この話はまた別の機会にしたいと思います。

この日オフ会を開始してから途中でセッティングを微調整されるまでの音を「パグ太郎さんの音」と捉えると、敢えて意図的に音の焦点から微妙にずらすことで古い音源でも時代による厳しさをうまくいなして表面化させず、聴き手は安心して音楽に浸ってイマジネーションを膨らませることが出来ています。

これはとりもらおさずパグ太郎さんがご自分のオーディオの目的を明確化され、その目的に向けて調整する腕もお持ちだからこそ出来る業で、ただ漫然と同じ機器の組み合わせを使い、同じ部屋で同じ音源を鳴らしても決してこの音にはなりません。この様に少なからぬ年月オーディオと音楽に向き合って地道な調整を行い、経験値を蓄積されてきた方の音からは必ずと言ってよいほど「その人の顔」が見えます。そしてそれはシステムの総額の多寡とは全く関係がないことは私がこれまで様々なお宅を訪問しそのシステムで再生される音楽を拝聴した経験上強く感じる所です。また逆に高価な現代ハイエンドを使っているからといってその類のものが出ないというものでもありません。

オーディオを愛し、音楽を愛し、そして自己を推進するベクトルを変な方向に曲げずに真摯にオーディオや音楽に向き合うことがこうした「その人の顔が見えるオーディオ」の域まで到達する要点だと感じます。昨今のSNSにおいて活動するオーディオ民を広く俯瞰して見ていると、特に最後に書いた「ベクトル」は非常に重要だと痛感します。これは平たく言い換えるとオーディオに邪念を入れないことで、承認欲求を満たすためであったり、自己実現のためであったり、他の人への対抗意識であったり、高級機への嫉妬心であったり、実に様々な邪念でベクトルを曲げてしまったオーディオ民が少なからず存在します。そして残念ながらそうした邪念が入ると現実の認識が歪み、音の要素のブラインド項目が多く発生し、また着地点も見いだせず、結果としてどこにも到達できず彷徨い続けることになってしまいます。

だからこそ、自分はどんな音源をどう鳴らしたいのか、それにはどういう道筋が考えられるのかを常に考え、同時に自分のベクトルが曲がろうとしていないのか引いた視点で自分自身を省みる、そういう姿勢が大切で、それを積み重ねて行けば自然といつの日かその人のオーディオは「その人顔が見えるオーディオ」に到達するものだと思います。そしてそういう方との交流は必ず大きな学びとなり自分の認知を成長させてくれます。願わくば自分もそういうオーディオ人であり、お互いがそれぞれ実りのある交流をしたい、そう私は思うのです。

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この記事を書いた人

主にオーディオについて感じた事を書いています。
古いクラシックがメインですが、新旧ジャンル問わず音楽を楽しむスタイルです。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 深く掘り下げた読み応えのあるオフ会記で素晴らしいです、さすがkanataさん!

    私が帰った後に種明かしがあったのですねー、立ち会って実感したかったです。
    ピントを合わせるポイントが自分と違っていたので何でかなあと不思議だったのですが、謎が解けました。
    ありがとうございます。

    何かしらの制約がある中でオーディオを構築している人が多いと思います、そんな完璧を求められない状況で何を取って何を捨てるか、もしくはバランスを取るか。
    その人が聴きたい音楽ジャンルでガラッと変わりますね。
    ホストのそんな拘りを聴かせて頂けるのがオフ会の醍醐味だと感じますし、前回からの取り組み(成長)を見せてもらうのが勉強になり楽しいです。

    まとめると、
    オフ会はやっぱり楽しい!

    • コメントありがとうございます。返信が大変遅くなり申し訳ございません。。。
      そうなんです。種明かしをしていただくとCENYAさんがおっしゃっていた通りでさすがだなぁと思いました。
      その通りで、オーディオのそして交流の楽しい所はそれぞれの制約の中で自分のイメージをどう実現させるのか、各自工夫をこらしてやっている所だと思います。
      無制限よりもその人の顔が見えるというか、面白いですよね。
      また遊んでください。よろしくお願いします。

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